ロゴマーク 2022/02/26 コラム

ある日突然「喪主」になった男の苦労話とか【晩酌 #6】

ライター町田
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 去る1月の終わり。父が突然この世を去った。

 それは文字通りの「突然」で、残された家族はもちろんのこと、恐らくは父本人ですら何のことやらわからん状態であったかと思うが、その過程は必要最低限を除いてここでは語るまい。悲しみのおすそ分けをするつもりはさらさら無いのだ。

 当記事では、その瞬間から否応なく「喪主」にランクアップ(なのかな?)させられ、そして流れるように「相続人」へとジョブチェンジすることとなったわたしの苦労話でも語ってみようと思う。

 世の長男諸君には何となく参考になる内容かもしれんぜ。刮目せよ!

げに恐ろしき長男の世界

 病院に着くまではかなり具合の悪そうだった父だったが、ドクターの処置が功を奏したのか入院を待つ間は非常に機嫌がよく、世間話や入院してからの生活のことなどを冗談交じりに語り合った。

 夜も9時に差し掛かった頃にやっと病棟が決まり、入院前にもう一つだけ検査をしましょうね~というあたりで病状が急変。それまで付き添っていたわたしは待合室へ放り出され、それでも尚「あぁ、これは再検査になるだろうから入院の手続きは日をまたいでしまうかもなぁ…」などとのんびり構えていた。10分後。再度処置室に呼ばれてみるとすでに父は心臓マッサージを受けており、間もなく息を引き取ってしまったのである。

 そしてその瞬間、長男であるわたしは強制的に喪主になった。

とんかつを目の前にする豚
まさに悲劇

【指令1】葬儀屋を手配せよ!

 別室でドクターの話を聞いている間も、一体わたしの周りで何が起こっているのか…正直なところ全く理解が及ばず、キョトンとしてみたり、なんとなく笑ってみたり、突然泣き出してみたり。情緒不安定もいいところである。

 だが状況は無情であった。

 わたしがどんなに悲しみに暮れていようとも、病院はオールタイムで業務進行中。要するに「遺体をそのまま置いておくわけにはいかない」ということなのよ。葬儀屋を手配し、しかるべき時間までに遺体を運び出す手続きをしなければならない。

 人生で断トツ1番の混乱状態で、今まで一度もやったことのない手続きを行う。これが喪主に課せられた一番の苦行と言っても他ならないだろう。以下色々と書き連ねていくが、全てはここに集約されると言っても過言ではない。

それでも葬儀屋はちゃんと選んでおくべき

 半ば夢の中にいるような体感の中、ボンヤリとした頭で「長野市 葬儀」などとザックリ検索し、一番上に出てきた業者に電話をした。今思えばそれはバリバリのアドセンス広告であったはずなのだが、もちろんこの時はそこまで考えが及ばない。結果、電話がつながったのは地元の葬儀屋ではなく、全国展開している「仲介業者」だったのである。地元の葬儀屋を下請けに、全国の葬儀依頼を仲介する形で商売をしているというわけだ。

 色々とお世話になったので感謝こそすれ文句を言うつもりは何一つないが、場合によっては不便が生じることも確か。例えばお寺さんなどはこうした仲介業者からの依頼を断る場合が多い。長野市でいうと、善光寺のお坊さんは一切受け付けないということだ。わが家の子どもたちはみんな善光寺保育園出身なのに…ぐぬぬ。

Noにチェック
お断りします

 父の場合はそういったこだわりの無い人物だったので事無きを得たが、信心深い故人の葬儀をしようと思うなら、しっかりと確認をした上で地元の葬儀屋にお願いするのが一番確実だろうと思う。

【指令2】通夜・葬儀を執り行え!

 葬儀屋の尽力により、父(の遺体)が実家に帰ったのは既に朝の2時を回ったところであった。

 …が、ある意味ここからが本番である。最早ぶっ倒れそうな精神状態の中、これからのお通夜・葬儀の流れを丁寧に説明してくれるのだがそんなの頭に入ってくるわけねぇでしょ。とはいえ、それはもう数日後に迫った日程なので泣き言も言っていられず、HP1状態のメンタルから最後の余力を絞り出してなんとか対応。人間その気になれば意外と頑張れる。今回得た教訓の一つだ。

空
なんとかなるもんだ

 良く晴れた翌日。いよいよ葬儀に関する本格的な打ち合わせが始まった。土地柄を踏まえてご香典の相場などを確認したり、お返し物はどのぐらいの物をいくつ用意すべきか?お経には初七日、49日を含めるか?宗派は?骨壺は必要か?火葬場には入場制限があるが誰が行くか?マイクロバスは使うか?その他お花がどうした受付がどうしたって…正直言って、一つもわからん!

 さらには葬儀に出席していただく親戚関係への連絡だ。もともと陰キャだったわたしは親戚たちと密な関係を保っておらず、こうした法事で数年に一回顔を合わせる程度。だが、当たり前だが逃げるわけにはいかない。粛々と父の死を報告し、指示を仰がねばならない。

みんなが助けてくれるから大丈夫。

 畳みこむように面倒な事を書いてはみたが、葬儀関係のことは葬儀屋が至極丁寧に教えてくれた。どんな些細な疑問にも面倒くさがらず対応してくれ、何一つわからないわたしにとってそれがどれだけ心強かったか。

 親戚関係のアレコレも父の兄弟である叔父さん方に滞りなくセッティングしてもらい、結局はみんなに助けてもらう形で無事に儀式当日を迎えることができたのであった。もちろんそれは「今になって思えば」ということで、状況に流されるまま現実を揺蕩っていた当時のわたしには「忙しい」ということ以外何も感じられなかったわけだが。

今日の晩酌

 では、そろそろ呑もう。

今日の晩酌
今日の晩酌メニュー

 通夜・葬儀とも本番を迎えてしまえばもうなるようになってしまうわけで、葬儀屋にエスコートされるまま気が付くと全てが終わっており、麗らかな夕方の日差しの中、お世話になった親戚たちに一人一人手を振ったことが目に焼き付いている。本当に何もかも助けてもらった。

 後日香典の金額とお返し物をチェックし、たくさんもらい過ぎてしまった方については別途お返し物をして、頂いた金額のおおよそ半分をお返しする形に調節したら葬儀の関係は終了。オツカレサンデス。

花わさびのしょう油漬け

花わさびの醤油漬け

 わさびの茎と花芽の部分が、行きつけのスーパーでは時期になると「花わさび」として売り出される。食べやすい大きさに切り揃えたら80℃前後の湯で10秒ほどサッと茹でて、ザルにあげる。この時しっかり火を通してしまうと苦みが出てしまうので注意だ。

 ザルに上げたらすぐに塩をまぶして揉みこむ。かなり熱いが頑張って…でも火傷はしないように。こうすることで細胞が破壊されて辛みが出てくるというわけだ。そして粗熱が取れたら醤油で漬け込み、一晩も立てば美味しくなっている。

 今シーズンの初物だったが、辛みと苦みのバランスが絶妙に仕上がった。上出来!

アジのなめろう

あじのなめろう

 特売になっていた微妙な型のアジをなめろうにした。

 三枚におろしたら皮を剥いで、身を細かく刻んでいく。薬味のニンニク、生姜、青ネギ、白ネギはいずれもみじん切りにし、刻んだ身に味噌と一緒に混ぜ、包丁で滑らかになるまで叩けば完成。仕上げに白ごまを振りかけた。大葉を入れても旨い。

アジのあら汁

あじのあら汁

 なめろうの残滓(とは言い過ぎか)をアラ汁に。味付けは潔く酒としょう油だけだが「魚のお吸い物」といった味わいでちゃんと楽しめる。捨ててしまったらもったいないぜ。

晩酌のおともは「カラマーゾフの兄弟」

ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
いまだ中巻

 父が亡くなってからもうすぐ一ヶ月が経過しようとしているが、その間全く本を開くことはなかった。日常に戻るのを精神が拒否している…というか、手に取ってはみるのだが全く気が向かなかったんだよなぁ。まぁ当然と言えば当然かも。

 というわけで今回が久々の読書。ただいま中巻の真ん中を過ぎたあたりだが、兄のドミートリイがなかなかヤベェことになっていて…盛り上がって参りましたよ!と、いうところだろうか。

 鴎外にしてもドストエフスキーにしても、この時代に描かれている宗教観(主にキリスト教)には考えさせられるところがある。

 こういう書き方をするとキリスト教徒のみなさんに怒られてしまうかもしれないが、それまでは所謂「最後の審判」のようなイベントが当たり前に現実で起こるとされ、政治や経済にまで深く根差していたキリスト教。しかし19世紀も後半になるとそれは徐々に科学的考査に取って代わられ、鴎外風に言えば「かのように」捉えられていくこととなる。要するに現代的な価値観に推移してゆく時代だったんだね。そんな中、それぞれの立場で思い悩む人々の姿が描写されていたりするわけだ。

聖書
聖書が生活の基盤だった

 大なり小なり人は時代に翻弄され、今だってネットワークだSNSだコロナだAIだと…もしかすると結構な転換点を生きているのかもしれんね。まぁドンと構えてゆっくりやろうや、というのがわたし自身の気構えである。要するに「これでいいのだ」。

【指令3】故人の生活を整理せよ!

 葬儀が終わると続いて襲い掛かってくるのは市町村関係・インフラ関係の手続きだ。以下がその一例である。

  • 税金関係の引き落とし先変更
  • 印鑑登録、マイナンバーカード、住民基本台帳カードなどの返却
  • 国保、年金、介護保険などの手続き
  • 水道、ガス、電気料金の支払い変更
  • 携帯電話の引継ぎ
  • 自動車の処理
  • クレジットカードの停止


 などなど…あくまで「一例」であることをお忘れなく。そしてこれらの手続きには、故人の状況にまつわるさらに詳細な手続きが芋づる式に紐付いているのだからもうたまらない。

書類
似たような書類を何度も書かされる

 父の場合は実家で一人暮らしをしていたため、例えば電気代はどこに契約してどう支払っていたのか、国保や年金の書類などはどこに仕舞われているのか、これらの作業はそういったことの調査から始まった。家族みんなで父の行動をあれこれと考え、「この書類がここにあるならあの書類はあの辺りだろう」とか「この棚の様子を見ると一見なにも無さそうだが、逆にこういう場所にこそ貴重品が忍んでいるかもしれん」などとコナンも真っ青の推理を繰り広げた。

 ただ、どの機関もこういった事情であればそれなりに融通を利かせてくれるので、「書類が見当たらない」と正直に相談すればちゃんとそれに沿った手続きをしてくれる。ご安心を。

 そして多くの手続きには死亡診断書のコピーが必要になってくる。始めの段階で葬儀屋から何枚かのコピーを頂くはずなので、足りなくなりそうなら無くなってしまう前にコピーを取っておくことを忘れずに。

 「大切な家族の生活を整理して終わらせる」という作業そのものがもうメチャメチャ辛いというのに、一つ一つの作業はいちいち面倒、かつ淡々とシステマチックに行われ、心が折れそうになること必至の工程だ。いつかは終わることを信じて目の前の手続きに愚直に取り組んでいくしかない。この記事を読んでいるわたしと同じ立場の誰かよ、心から応援しているぞ!がんばれ!

【指令4】そして「相続人」へ…

 そして現在は相続手続きの真っ最中だ。手順は大まかに分けて以下の通り。

  • 故人の出生から死亡までの戸籍(改正原戸籍・除籍謄本など)を取得し、相続人を確定させる。
  • 相続人の間で相続内容を協議し「遺産分割協議書」を作成する
  • 銀行、法務局など各機関に提出し遺産を分ける


 遺産分割協議書には相続人全員が署名・捺印(実印)をし、それぞれの印鑑証明書を添付して提出する。提出先機関によっては遺産分割協議書を必要としない場合もあるが、「実印+印鑑証明書」が必要となるパターンは数多く見られた。もちろん遺言書がある場合はこの限りではない。

 勝手知ったる家族だけが相続人なら、面倒な手続きではあるが地道にこなしていけばなんなく終わるであろう。だがそうでない場合は話が別だ。父には謎の再婚者(外国人)がおり、これがまた非常にややこしい。

 外国の戸籍が必要になったり、本来相続人全員が日本人であれば作れるはずの便利な書類が作れなかったり。遺産の分配についてもどう考えているのか…どんな要求をされるのだろうか…と心配は尽きないが、まぁその辺りはプライベートな話になるのでここでは語るまい。



 以上、ある日「喪主」にランクアップしたわたしは、現在「相続人」にジョブチェンジして相も変わらず頑張っている。

 この話の顛末を後日記事にするかはわからないが、もしかすると、色々とスッキリ終わった後でまた晩酌ついでに語ることもあるかもしれない。記事の内容的に「お楽しみに!」という締めも変なので、とりあえず「またよろしく!」という程度で。

 最後に、父はミュージシャンであった。プロなどではないが、わたしの中では誰よりも偉大なミュージシャンなのだ。アイキャッチ画像の謎も明かしたところで、それでは。

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