
もうずっと前からわたしの本棚は満タンになってしまっていて、新しい本を買ったらそのぶん溢れた本を実家に疎開させたり、気まぐれにまとまった数を古本屋に売ってみたり、家族や友達に貸し出したりしてなんとかやりくりしていた。
でも…もうなんだか面倒になっちゃって。この際一気に片付けてスッキリしてしまおう、ということなのである。4次元ポケットがあったらいいのにね。
捨てるんじゃない、整理するんだ。
本棚自体は大きいのだが、わたしの本(主にペーパーバック)に割り当てられている領域は非常に少ない。


今まで小出しの整理をしていたのは他でもない、どの本にもそれなりの思い入れがあり、なんとなく身近に置いておきたいというような女々しい気持ちがあったせいだ。
今回はできるだけ潔く整理するつもりだがもちろん捨てはしない。実家の本棚に移植してやるだけだから。捨てるわけじゃないんだから。ね、大丈夫、捨てるわけじゃなくて実家に持っていくだけなんだから、全然さみしくない。だって捨てるわけじゃなくて整理して実家に(以下略
有吉佐和子さんの本
さて。せっかくなので整理しつつ本のご紹介でもしていこうかしら。あくまで「ご紹介」であり、書評のようなものを展開する気はさらさら無いのでお含みおきを。そういうの苦手なのよね。

まずは有吉佐和子さんの本。旅行のおともに「青い壺」を購入したのがきっかけだった。
ある平凡な陶工が偶然焼き上げた青色の傑作。その「青い壺」が様々な人の手を渡っていく中で、それぞれの人生の輪郭を鮮やかになぞってゆく。オムニバスではあるのだが、青い壺がゆるくその中心に据えられることで、全体としてふんわりとまとまっているのが印象的だった。
いつもの通りジャケ買いしただけなのでこの時点では有吉佐和子さんも、青い壺という本も全く知らなかったのだが、以来もうすっかりハマってしまって。「華岡青洲の妻」などの時代物よりは、「開幕ベルは華やかに」「恍惚の人」などの現代劇の方が好みではある。
村上春樹&龍

この二人って全然タイプの違う作家なのに、完全に名前だけのせいで何故かセットにしちゃうんだよなぁ。
小さい頃から本が好きだったわたしではあるが、今ほど本を読むようになったきっかけはこの二人の本に出会ったことだ。だからこそ幾度とない整理の機会を免れ、長きにわたり本棚を圧迫し続けていた。
特に村上龍さんの「コインロッカーベイビーズ」は罪深く、例によって最後の決めゼリフに全身を貫かれてしまい、その瞬間に読書人生が確定したと言っても過言ではない。ストーリーもほとんど忘れてしまっている今、もう一度読みかえしてみたいな…みたいな躊躇いがあるからいつまで経っても片付けられないんだよなぁ。今回はスッパリと実家に送ってやろうと思う。だって捨てるわけじゃないんだから(以下略
謎のミステリ

新しい本を買う時に外せないのがこれらのミステリ本。どちらかというとわたしは「古くて重い内容の本」を好む傾向にあるので、こういったミステリがいい箸休めになる。
ディヴィッド・ハンドラーさんの書く、ゴーストライターのホーギーが活躍するシリーズなんかはもう「アメリカ版 火サス」とも言えるお手軽さで、何一つ引っかかることなく最後まで読めてしまう…と、ここまで書くと完全にディスっているみたいだけど違うのよ。こういう本にはこういう本の良さがあるんだから。
この手の本は画像に写っている何倍も持っていたハズなんだけど、それこそ小出しの整理の格好の餌食になっていったんだろうな。南無。
ゴーン・ガール

これはもしかするとどこかの晩酌記事で触れたかもしれない。まぁいいか。
「ゴーン・ガール」と聞くと、あぁデヴィッド・フィンチャーのね!ってなりませんか?ところがこれを読むとわかる。ゴーンガールはギリアン・フリンさんのだってことが。時間があれば原作を読んで、それから映画を見直していただければ何が言いたいのか一発で伝わるはず。
映画化されるととかく「監督の作品」という認識になりがちだが、その裏でやりきれない原作者の方もいるのかなぁ…なんて想像してしまった。知らんけど。
ティファニーで朝食を

これ、いい本だったな。
タイトルの語感から、キラキラした人がメルヘンチックな気分で読む本だと勝手に思い込んでいたのだが、本屋で手に取ってみて何か感じるものがあり、実際に読んでみたら全然違った。
ヘミングウェイよろしく淡々とした語り口で描かれるのは確かな人間性であり、それは決してメルヘンチックなどではない。ホリーがいた日々の手触りが、温度が、ノスタルジィが感じられる本だった。ちなみに他のどの短編もいい物語なのでオススメ。

ホリーって日はまた昇るのブレット・アシュリーと何となくイメージが被るんだよなぁ。だから先ほどヘミングウェイに例えたんだって今気づいた。
川端康成さんの本

「温泉宿」に登場するような女性と「乙女の港」に登場するような女性をどちらも超高解像度で書き上げる彼は、誤解を恐れずに言うならきっと「変態」だったんだろうな、とは思う。
そんな変態、もとい天才が書いた本なのだから、雪国における島村のような「コンプラ的にどうなの」的なキャラクターは数多けれど、やはり面白いものは面白いのだ。そもそも造られた時代が違うコンテンツに対して現代感覚で文句言うのって無粋の極みよね。少なくともわたしはやらない。
手元に残しておく本
キリが無いのでご紹介はこの辺りで終了!というわけで残ったのがこちらです。

わたしにとっての聖書「アポロ13」はもちろん手元に。ライ麦畑、ムーミン、グレート・ギャッツビーも何故か手放せなかった。…まぁ手放すっていうか捨てるわけじゃなくて実家に(以下略
サロメ、リア王、ライオンのおやつは未読なので置いておくとして、フラニーとゾーイーは今すぐ読み返したくなったのでこれも保持。決して躊躇いじゃないです。絶対に違います。全然関係ないんだけど「ライオンのおやつ」って本は何が心にひっかかって購入したのか、またいつ購入したのか、由来が全く思い出せない。むしろ逆に楽しみだ。
さて。
今回は晩酌記事でも紹介してきたようなドストエフスキーやヘミングウェイを始め、サン・テグジュペリ、モーパッサン、太宰や森鷗外なんかも全員実家送りにしてやりやしたぜ!

こうして見るとこの空間にどうしてあれだけの本が収納できていたのか不思議だ。4次元とつながっているのだろうか。いずれにしろ、小出しに整理するよりこの方が絶対に効率がいいことを今回思い知ったので、次回も本がたまったら一気に片付けることにしようと心に決めた。
以上、みなさんも良い読書ライフを送ってくれよな。それではまた!
