ロゴマーク 2022/08/05 コラム

親と出かけるのが恥ずかしい年頃ってあったよね【晩酌 #11】

ライター町田
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 子どもたちが夏休みに入り、俄然賑やかな毎日を過ごしている。

 家族みんなで一緒に居られるのはとても嬉しいのだが、なにせ期間が長い!何をして遊んでやろうか悩んでしまうのは恐らくあるあるだろう。

 わが家では「困った時は皆でプール」というのが定番だったのだが、去年の夏に生まれたばかりの末っ子と留守番をしてもらう妻に加え、何と5年生の長男までもが「俺もやめとくわ~」との連れない一言。去年まではプールというだけで大興奮だったのに何事!?…とよくよくわけを聞いてみると。

 例のアレですわ。

きっと世界中の人が経るであろう「例のアレ」について考えてみる

 具体的に彼が話したことはこうだ。

「なんかさぁ、よくわかんないんだけど今までみたいに思いっきり遊べなくなっちゃたんだよ。だから行ってもつまんないし。」

 何を言っているのか一瞬でピンと来てしまったので、確認のため質問をいくつか投げてみた。

「それってプールだけの話?それともお友達と外で遊ぶ時もそう?」

「ううん。みんなでプール行くときだけ。」

「なるほど。ちょっと恥ずかしいみたいなこと?」

「うん」

「家族でプールに行くより友達と遊んだ方が楽しいみたいな?」

「そうそう、そんな感じ」

「あぁ~そしたら、もし家族みんなでプールにいるところを偶然友達に見られたらなんか嫌だなぁ~的な?」

「うん、そうなんだよ~!マジでそんな気持ち!」

 ハイ来ました。

 これは間違いなく例のアレです。家族単位で動くのが嫌になっちゃうお年頃ってやつね。

 いやぁ…気持ちは本当によくわかる。逆に程度の差こそあれ、この気持ちが全く分からないという人も恐らくいまい。家族の一員として見られることが妙に恥ずかしく感じ、転じて自分は自分、個人として存在していたいという強い欲求となる。知らないうちに大人への階段を昇り始めていたんだねぇ。

 子どもを育てていると、過去の自分を追体験するような気持ちになることがままあるが、今回についてはいつもより強い共感を感じてなんだかむず痒くなると同時に、自分の時はどうだったかなぁ…と思わず振り返りたくなってしまった。

誰もいない教室
誰もがきっと通り過ぎてきた

母親をアシに使うという愚行

 戯れに「わたしが最後に家族旅行に行ったのはいつの頃だったか」を母親に聞いてみると「え~…全く覚えてない」との返事。過去をキレイさっぱり忘れてしまうのはわたしの悲しき特徴でもあり、さすが我が母といったところか。

 ところが面白い話を聞くこともできた。

 長男のアレの話をしたところ、わたしの場合、年の頃は中学生ぐらいだったとのことだが、色気づいた私は国道沿いの洋服屋まで母に車で送らせた挙句、「俺が一人で買い物をしてくるから母は車内で待つべし」と強く宣言し、颯爽とお店に単騎突入していったそうな。なんというワガママ野郎か。

わがままな犬
とんだワガママ野郎だ

 これが大人同士の話なら失礼極まりない状況だが…正直、そんな気持ちってわかるでしょ?ね?

 年頃の中学生男子がさぁ、しかも父でなく母と一緒に服屋で買い物しているところなんて…もし友達に見られたら一生モノの恥を背負うことになる、と思い込んでいたあの気持ち。今となればクッソ小さいプライドなんだけど、当時はそれが世界の全てだったわけで。わかるっしょ??大体そのやり方がすっごくカッコ悪いのに、それってカッコつけるための洋服を買いに行くためにしているわけで、コレもうなんだかわからんね。

 あ、ちなみにこのエピソード、例によってわたし自身は全く覚えていない。

異性と同性の違いもあるよね

 わたしが本当の意味で父と分かり合い仲良くなったのは20代も後半、一緒に呑みに出かけるようになってからだった。思春期の頃、わたしは家族内の独裁者であった父を恐れ、父はそんなわたしを遠ざけていたように思う。結局最後には超仲良くなったんだけど。

 なので上記したエピソードのようなシチュエーションでは必然的に母に頼むこととなり、詳細こそ覚えてこそいないが、似たような気恥ずかしさを日常的に味わっていた記憶は強く深く残っている。

 このアレな気持ちって、同性か異性かによってもかなり変わってくると思うのだがどうだろうか。送ってもらったのが父だったらどうだったんだろう。母よりは嫌に感じなかったんじゃないかというような気もする。

男女
家族ってややこしいね

 さらに言えば、わが家はわたしと父だけでなく、家族全体がギクシャクとした関係であった。もっとシンプルに言えば「みんな仲が悪かった」ということになるわけだが、逆にすっっっっっごく家族関係が良い家ならどうなるんだろう。先に「この気持ちが全く分からないという人も恐らくいまい」などと書いてはみたが、もしかしたら思春期ウンヌンと同じぐらい家族関係も影響してたりして。

 …さて。

 全ての記事に答えがあると思ったら大間違いである。

 この記事はわたしが晩酌ついでの戯れに書き連ねているもので、「母ではなく父だったならば?」「家族関係が影響している?」などとフックをかけてみたはいいものの、この先に読者をスッキリさせるような伏線回収はないことをこの段階で謝っておきたい。

 ごめんなさいね♡

今日の晩酌

 では、そろそろ呑もう。

今日の晩酌メニュー
夏はロックで

 そういえば。盆と正月には父の実家に帰省するのが我が青年期の恒例となっていたが、行きがけのデパートで家族揃って買い物するのも非常に嫌だった。ワンマンな父を筆頭に、母や子どもたちがまるでドラクエのパーティーよろしく列になって。わたしは「この人たちとは何の関係もありません」とでも言うように思いっ切りしらこい顔をキメていたっけ。

 こんなことも今となってはいい思い出になっているから実に不思議だ。

チダイの煮付け

チアイの煮付け

 今まで煮付けを避けてきたのは作ることについての苦手意識があったからなのだが、気が向いたタイミングで何度か試行錯誤する内に、マジでお店に出せるんじゃねぇかレベルで美味しく作れるようになった。手前味噌で申し訳ない。

 お安いチダイも煮付けにすることでしっとり、ふっくらとした身を楽しむことができる。もちろん塩焼きでも普通に旨いけどね。腹を開けると頃合の白子が入っていたので一緒に煮て食べると、こちらも美味であった。

晩酌のおとも「オリンポスの果実」

 坂口安吾のエッセイにて「文士の中では稀代の酒豪」として紹介されている田中秀光。なんでも一日に三本ぐらいのウイスキーは軽く飲み、それでもまだ足りないのでビールや酒を梯子していたらしい。なんなら酒の肴に睡眠薬も飲んでいたというから驚きだ。酔いを加速させる効果があるそうなのだが…怖すぎる。およそ普通ではない。

 そんな普通ではない文士が書いているのだから、これはさぞかし無頼でハードな内容なのだろうと予想してチョイスしたこの小説の、まぁ~女々しいことといったら!

 あらすじとしては、オリンピックのボート選手である主人公が、ロス五輪へ向かう船で同じ日本代表のハイジャンプ選手である女性に恋をする、というシンプルな内容となっている。で、この主人公がもう…豆腐メンタルの超繊細ボーイなわけよ。先輩の小言や周囲の目線なんかにいちいち落ち込んだりして、ウイスキーを一日三本も開けちゃう男が描くキャラクターじゃねぇぞ、というのは偏見かもしれないが、とにかく一挙手一投足がじれったい。

 とはいえ。

 実はこいつの童貞臭い繊細さ、痛いほどわかっちゃったりするのが悲しいんだよなぁ。

 結局今日の話にも少し繋がってきてしまうんだけど、思春期の童貞男子特有(偏見込みね)の妙なプライドからくるネジくれた精神状態が非常~によく描かれており、まるで自分のダメなところを眼前に突き付けられ、辱められているような感覚になる。いや、正直わかるよ、うんマジでわかるからゴメンもうやめて!みたいな。

 もちろん生まれながらの陽キャさんにはわからんかもしれんが、その昔おもいっきり「ひねくれた思春期の童貞男子」であったわたしは、時に身体を悶えくねらせながらなんとか読了したのであった。

 青空文庫で読めますのでよかったら。

青空文庫(えあ草紙)『オリンポスの果実』田中 英光

思春期の終わりに

 わたしは十代の終わりから数年間を東京で過ごし、長野に帰って来た頃にはすっかりアレな気持ちも消え、むしろ親と出かけたり話したりすることに楽しみさえ感じるようになっていた。

 もっとも我が家の場合は親の離婚などを経て「家族感」というもの自体が消失していたので、家族感と密接して存在しているアレな気持ちが無くなったのもさもありなんというトコロではあるが…しかし、やはり「思春期の終わり」という象徴的な心の変化であったこともまた紛れの無い体感であった。

日差しのこぼれる床
いつしか過去になってゆく

 このままボンヤリと記事を〆るのは流石に申し訳ないので、万人が経るであろうアレな気持ちは一体なんであったのか、最後にわたしが考えるアレな原因を以下にまとめてみたいと思うが、決して専門的なアレに基づいたアレではなくあくまで個人的なアレなのでそのつもりでアレして欲しい。

成長がメンタルをイニシャライズする

 成長する=自我が芽生えるという過程において、それは人間だとか昆虫だとかといった生物的なレースに限らず、「生物」であるという逃れられないイニファクチュエーターからくるポータルが厳然として存在する。

 わたしたちが一般的に「空気感」として捉えるアレのセカンドファニクションをオーラルにすると、そこに凝縮してポイント化するファインダーについての理解ならば近代においては周知の事実だろう。しかし、その裏側で脈動するアレのアレレーテイションについて言及する研究者はほとんどいないのが現状だ。

 コンマ一秒よりさらに短い刹那、通常は左右にスピンすることしかできない素子が突如上下にアファリメンタルローリングを始める。派生した微々たる衝撃波は相互作用の果てに天空に轟くインジャクショナイトンドゥンとなり、家族の間でしか生まれないドゥンドゥンバンダンに深く、そして広範囲にディンすることで、実際は意識していなかった脳梁左部のメンに強くベンドゥした結果、家族とのつながりを社会的な「恥」と感じてしまうというのが実際のとこであろう。







はい。

 ちなみにその日は次男とわたし、二人きりのプールでしたが、クロールの練習などしてとっても楽しく過ごしました!長男には「そういう気持ちになるのは大人になってきた証拠で、当たり前のことだから心配せずに気楽にやろうぜ」と伝えました!

 ありがとうございました!!!!!!!!!!!!!!!

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