
とあるYoutuberの方が、俗にいう「炎上」している様子を目にした。ちなみにわたしにとっては特に注目している方でもなんでもなく、何かのタイミングでたまたまYoutubeのおすすめ動画に出てきただけの話なので、当然好きでも嫌いでもない人物だ。
動画を覗いてみたところ、お金のやり取りにまつわるトラブルをめぐってYoutuber「Aさん」とYoutuber「Bさん」が対立している、というのが大元の構図らしい。そして双方YoutubeやXで主張を繰り返す中、その様子を見て一言モノ申したくなった方々を巻き込んで見事に炎上。その様子がわたしのネット環境にもピックアップされてきたと。まぁホント、全くの他人なんでね。対立の内容については心の底からどうでもいい。
ただ、炎上という現象から発展して考えさせられてしまうことがあったので、こうして記事にしてみることにした。
生まれて初めて炎上に注目してみた
ネット、リアル問わず、普段わたしはこういったことに出来るだけ首を突っ込まないようにしている。それは世俗のいざこざには関わるまいというような高貴な心からくることでは決してなく、普通~に面倒だからね!
それでもまだ自分が関わっていることならいざ知らず、赤の他人のトラブルを血眼で追いかけて、しなくてもいいイライラを敢えて買ってくるような行為はおよそ正気の沙汰とは思えない。とんでもねぇメンタルおばけが世の中にはいるもんだぜ本当。
件の炎上でも、Bさんの味方であろう人がAさんに対して、「俺らが聞きたいことはそういうことじゃねぇんだよ!話をそらさず聞かれたことに正直に答えろよ!」とxで息巻いているのを見て、さすがにこれは関係者なんだろうなと調べてみたらやっぱり赤の他人だった。『俺ら』って一体…。
日本人終わったな、と感じてしまった
こういった記事を一度開くと、その続報がどんどんおすすめやタイムラインに流れてくるのはご存じの通り。
なんとなく動向を追っている中で、様相はAさんとBさんの『喧嘩』から『攻めるBさんに対して釈明するAさん』という構図に変化してきた。すると自然に、Aさんの釈明動画なりxなりに、Bさんのフォロワーたちが噛みついていくという流れができあがる。媒体に関わらず、Aさんのポストには毎回累々たるアンチコメントが寄せられるようになっていた。

それは「嘘つき!」「お前みたいな詐欺師はもう消えろ!」のような直接的なコメントから、「Aさんのような方に案件を回すメーカーの商品はもう買いません」「AさんとコラボするようなYoutuberの方も信用できません」のようなAさんの仕事や地位を貶めようとする意図のもの、また、事件の内容を時系列を追って自分なりに整理し「以上の経緯からAさんが嘘をついているのは明らかだ。潔く謝罪して責任をとるべき。」のような、理屈で追い詰めるタイプのコメントも散見された。
断っておくが、Bさん本人や関係者が怒るのはもちろんだとして、コメントを寄せているのはそのほぼ全員が無関係の人ですからね。一銭も損してないんだ彼らは。個人的なつながりも一切無くただ画面の向こうで見ているだけのその他大勢が、まるで自分のことのように怒り狂ってるわけだ。異常だよこれは。
この様子を見るにつけ、日本人マジで終わったなと。そんな風に思っちゃったりして。
アンチコメントを残す人の割合って?
あと一応Aさん謝ってるんだけどね。普通に謝ってるポストに対してこれだから、どうしてこの人こんなに嫌われちゃったんだろうと不謹慎にも笑ってしまった。きっと一見さんのわたしにはわからない経緯があるのだろうが、とにかくそちら方面は心底どうでもいい。
逆に気になったのは、この騒ぎを知っている人の中で一体何割の人がアンチコメントを残しているのかということだった。ここまで炎上しているんだから相当数いるはずで、実感としての割合が知りたい。
というわけで簡単に計算してみた。
まず分母には「少なくともこの事件を知っているであろう人の人数」を置く。すなわち各記事、動画、ポストなどの表示回数、関わっている何人かのYoutuberの登録者数などだ。恐らく記事やXに張り付いている人の多くは常連化しているだろうから数字が被ってくるはずだし、逆に、目にはしたけれど興味が無く動画をクリックしていないという方も多いはず。以上のような要素を考慮しつつ、全体としてなんとな~くしっくりくるような数字に設定しておく。
分子はもちろんアンチコメントの数。主な記事・ポストを巡回しアンチコメント数をざっくりと確認。こちらも恐らくはほとんど常連なのでそれも鑑みつつ計上する。
…ううむ。なんだか計算についてこれ以上真剣に書いてしまうと、ジェネラルな社会論を展開しているような誤解を産みかねないのでこの辺でやめておこう。この記事はあくまでわたしの主観であり、数字はその主観を補完するアイテムに過ぎない。自分の気が済むようにざっくりと適当に計算したんだろうなぁぐらいに思っておいていただければ幸いだ。

とにかく!結果は【およそ1/500】と出た。
アンチコメントを残しているのは、今回の一件に関して言えば、騒動を知っている総数に対しておよそ500人に一人。20万人が知っているとすると、その内およそ400人がアンチコメントを残すほど怒っているということになる。この数字はみなさんの肌感と一致しているだろうか。
日本人全然終わってなかった
あくまでこの件に限り、この数字は現状と見事に一致していたように思う。このぐらいの割合の人々が、ある人はディープに、ある人は一言ボソッと悪口を残していく。ネットの様子はちょうどそんな感じに見えた。
で。この数字ってどう?多い?少ない?
ちなみにわたしの通っていた小学校は一学年3クラスで全校生徒数がおよそ500人。先ほど紹介した『俺ら』くんは、言ってみればどこの学校にも一人はいる悪い意味での変わり者だということになる。
だったらこれ…しょうがなくね??っていう。
日本人全然終わってなかったわ。残り499人にも思うところがあるのかもしれないが、少なくとも赤の他人に下品なアンチコメントを吐き捨てることはしていないわけだから。騒いでいるのは全校に一人の選ばれし者だった。いや、でもそれが集結して何百人になった時のパワーはとてつもないわけで、最近の世の中はそんな被害者にあふれているし決して無視はできないんだけど、とにかく日本人全然終わってなかった。完全に勘違いだった偉そうなことを言ってすいません。
ここであらためて恐ろしくなってしまったのは、僅か1/500の人々が騒いでいる状態がはたから見ると大炎上しているように見える、言い換えれば多くの人がこの問題について怒っていると錯覚してしまうということだった。わたしが直感的に、日本人終わったなと感じてしまったように。
立ち上がれサイレントマジョリティー
ここからは今回取り上げた炎上の様子を踏まえて、恐らく他の炎上や騒動も同じような実態であろうという前提で話を進めていく。つまりはわたしの妄想話なのでお含みおきを。
インターネット・SNSの利用が社会の分断を生んでいる、というようなよく言われる理解はもちろん結果として正しいのだろうが、本質はその過程にこそあるように思える。今回の事例を踏まえるならば、分断そのものではなく「くっついた結果」分断しているというところが大きなポイントだからだ。

良くも悪くも少数派が社会を動かしている「炎上」の正体
1/500人という、現実の社会であれば点在・分散し本来交わることの無かったであろう人々が、インターネット・SNSという土壌の上では「同じ意見の同士」⇒『俺ら』として強固に結びつくことが出来る。そしてその意見がラジカルであればあるほど結びつく力は強くなる。つまりはノイジーマイノリティが形成されていくわけだ。

怒りに燃える(それは多くの場合ナゾの正義感からくる)彼らの発言が騒動全体を支配し、マスコミも盛り上がっている状態をこそ面白がって取り上げるわけだから、企業などはその流れを無視できず対応を迫られることになる。するとどうだろう、社会が実際にその方向に動いてしまうのだ。残り499人の圧倒的サイレントマジョリティのことは置いてけぼりにして。
これが炎上の正体なら、実体は幻のようなものだと言って差し支えないように思える。ところがその幻こそが実際に社会を動かす大きな力となっているという矛盾。
この辺りはノイジーマイノリティとサイレントマジョリティーについての一般的な考え方だろうか。
とにかく、「少数派の意見は無視せよ」と言いたいわけでは断じてない。わたしが今回お伝えしたいのは、ごく少数派の意見が、インターネット・SNS・各メディアなどを経由することで社会全体の総意に取って代わってしまうということの危うさなのだ。
少数派が多数派を思想的に支配する
タレントの誰々さんがえげつない不倫をして、ごく少数の「タレントの不道徳は絶対に許さない(怒)!」マンがここぞとばかりに火をつけた結果、誰々さんは活動を自粛し後日芸能活動を引退することとなった。社会的に影響のある人がえげつない不義理をしたわけだから当たり前だろうと。

…いや、これ本当に当たり前か?
意見そのものが間違っていると言いたいわけではないのでご注意を。わたし自身、自分の意見を必ずどちらかに分類せよと言われれば絶対に許さない側になるだろう。でも当たり前か?それが絶対的に正しいことなの??
声を上げない大多数にとっては本来、不倫なんてろくでもないけど、夫婦や恋人って理屈じゃないからね~お好きにどうぞ、ぐらいの話だったのでは?
しかし今やもう「やらかしてしまった」タレントは社会に対して平身低頭で謝罪し、何らかの罰を受けなくてはいけないというのがセオリーになってしまった。インターネット・SNSで結びついたラジカルな思想が社会を動かし、知らず知らずその風潮にサイレントマジョリティーたちも引きずられて、結果、夫婦や恋人って理屈じゃない「けど、タレントみたいな影響力がある人の場合は罰せられて当然だよね」という考え方が社会全体に上書きされた。これは言い換えるとマイノリティがマジョリティーの思想を支配したということになる。
人間社会では古来から、強い権力・思想を持つ少数の指導集団が大衆を率いてきた歴史がある。だがそのやり方では時に立ち行かなくなるから、逆に大衆の気持ちを政治に活かそうと民主主義が出来たのではなかったか。これじゃまるで逆じゃん!一部のとんがった人たちがその他大勢を動かしちゃってるじゃん完全に。
そして現状、社会常識はあまりにも極端になってしまった。
具体例を挙げればキリが無いのでやめておくが、ちょっとでも道徳的に良くないことをすればアウト。過去にしていてもアウト。効率的でなければアウト。無駄にお金を使ったらアウト。政治的な思惑があったらアウト。一度でも法に触れればアウト。頑張って立ち直ろうとしていてもアウト。窮屈すぎて書き出しているだけでも心が疲れてくる。

こんな極ホワイト社会が行きつくところはもしかしたら戦争かもしれない。「不道徳で罪深い国は絶対許してはいけない!」みたいな。みんなこんな社会を求めてたのかしら。ドラマや映画の世界なら、道を踏み外しちゃった人がもう一度頑張るストーリーってたくさんあるじゃない。そしてそんな物語を見て時に勇気をもらい、時に涙するわけでしょ。ならば多くの人は今だってそんな優しい社会を理想としているはずなのだ。
良くも悪くも「騒いでいる人は1/500(仮)である」という現状を今一度胸に刻み、本当の自分はどんな人間だったのかをもう一度見直す時が来ているのでは。
そんなに他人に厳しかったっけわたしたちって。
自然のありがたみをもっと感じようぜ
結局、サイレントマジョリティーがもう少し声を上げていかなきゃいけないんだろうな、というのがここまでダラダラと書いてきたことの結論だ。
マジョリティーがなぜ沈黙化してしまうのか。それは恐らく、極ホワイトなラジカルさんほど物事をシンプルに捉えていないからなのではないかと思う。
物事ってもっとこう…ゴチャっと寄せ集まっていて、こっちから見ると赤かったり、そっちから見ると青かったり。上から見ればおおよそ四角だが、横から見るとトゲトゲして見える。あらためて俯瞰してみるとなんだかよくわからん形をして、様々な色が混ざり合ったグレーのグチャグチャだ。じゃあ何が正しいのかなんて簡単にわかるわけないじゃん考えるの面倒だし他人事だし関係ないからもういいかオヤスミ(ページそっ閉じ)、というのがわたしを含む多くの人々の実情なのだと思う。完全な妄想だけど。
しかし!そのグレーな気持ちを敢えて発信していくことこそが、今の社会に対する効果的な中和剤になるのではなかろうか。今回の記事はまさにそんな気持ちで書いてみた。きみの言うこともよくわかる。でもその上でわたしはこう思う。ある意味でわたしたちの意見ってどっちもアリだから正解なんてないよね~みたいなホットでもコールドでもない温ぅぅぅい議論。そんな成分が今の社会には圧倒的に足りてないんじゃないか。
大体ね…最後に言わせてもらうとみんな人間のことでカリカリし過ぎなんだよそもそも。
足元を見れば縁石の脇から季節の花が咲いているし、空には雲が浮かんでいるじゃないか。疲れたら野山にお散歩しに行こうよ。土の匂いを感じて子どものように走り回れば辛いことなんかすぐに忘れるさ!大自然万歳!!何を書いているんだろうわたしは!!

というわけで、それではまた。
